アベンジャーズとスパイダーマン

こんにちは、二ヶ月ぶりです。

関西では長い梅雨が明け熱い夏が始まりました。

友人から励ましの言葉を頂いたので、僕も頑張ってこのブログの更新頻度を上げていきたいと思います。

 

今回はこれまでの記事とは毛色が変わり、映画についての感想、のための短めな前振り記事です。

本題は次回でここでは映画観ることになったきっかけとかの所謂自分語りです。

 

取り上げるのはスパイダーマンアベンジャーズ

アベンジャーズというマーベルコミックサーガのなかで、次世代を担うスーパーヒーローとして選ばれた彼についての僕なりのワクワク感を文章にしていきたいと思います。

次回を含む全体の結論としては、ファーフロムホーム最高!トムホ最高!!です。

 

※この記事は現在公開中の『スパイダーマン:ファーフロムホーム』や『アベンジャーズ:エンドゲーム』のネタバレが中心になっていますので気にする人は気にしてください。

 

 

先日、スパイダーマンシリーズの最新作、『スパイダーマン:ファー・フロム・ホーム』が公開され、日本では世界最速となる6/28に上映開始となりました。



僕も結構楽しみにしていて、7月の頭に観に行ってきました。

といっても、僕はもともとアメコミについてそこまで詳しいわけではなく、かなり最近まで「アベンジャーズって流行ってるし気になるけど今までの全然観てないからな~」くらいの関心度でした。

 

そんな僕でしたが、アベンジャーズに興味を持つきっかけになったのは今年のGW。

里帰りしていた友人たちと集まった際、なんとはなしに皆で映画『アイアンマン』を鑑賞していたのですが、それを観ながらふと「スパイダーマンがトニースタークの作ったスーツ着たら強そうやな」と発言したところ、友人たちから「お前…実はホームカミング見てるな??」と謎の煽りを浴びます。

 

えっマジで作るの?そんなんめっちゃ面白くない??という思いとともに俄然興味を掻き立てられた僕は後日さっそく『スパイダーマン:ホームカミング』を鑑賞。

そして抱いた感想が

「トムホランドのピーターパーカー最高やん…好き…」でした。


スパイダーマンは過去2回、実写化のシリーズが制作されていますが、一応僕はそれらはチェック済みで、スパイダーマンの基本的なキャラクターは抑えていました。

蜘蛛の力を授かった理系のオタク、という設定は今回のスパイダーマンにも踏襲されていますが、本作のピーターパーカーはこれまでのシリーズの中で最も若く、ホームカミングの時点でなんと15歳です。

これは過去のシリーズと違い、本作がMCUとしてアベンジャーズの歴史を紡ぐ役割を背負い、成長していくためでしょう。

ですがそのため、本作のピーターは、より少年らしさや精神的な未熟さが強調されます。

そんな思春期真っ盛りの少年を熱演したトムホランド

彼とスパイダーマンの特集記事が7/20発売の映画雑誌「SCREEN9月号」に載ってるからみんな買おう!

一緒に掲載されてるトムホの写真が冗談みたいに男前でビビるぞ!

 あとその前月号もスパイダーマン特集だからついでに買おう!

 

SCREEN(スクリーン)2019年9月号

SCREEN(スクリーン)2019年9月号

 
SCREEN(スクリーン)2019年8月号

SCREEN(スクリーン)2019年8月号

 

 

つまるところ、僕はスパイダーマンアベンジャーズに関して、そのものよりもまず先にピーターパーカーを演じるトムホランドという俳優にハマったのがはじまりでした。

 

さて、ホームカミングを観終えてそんな状態になったわけですが、続編を観るためには、『アベンジャーズ:エンドゲーム』の鑑賞は避けて通れません。

ネタバレを前提としたこの記事で今更説明は不要かもしれませんが、アベンジャーズの映画(マーベル・シネマティック・ユニバース通称MCU)は、マーベルコミックのヒーロー達が一つの世界観を共有しており、そのストーリーはフェイズで区切られます。

そして『スパイダーマン:ファー・フロム・ホーム』は、フェイズ3の最後に位置しており、すなわち『アベンジャーズ:エンドゲーム』によって、キャプテンアメリカとアイアンマンを中心として進んできたこれまでのMCUが、一つの節目を迎え、次の時代にフェイズを移すためのあしがかりの作品となっています。

強大なヴィランであるサノスとの戦いを終え、傷ついた世界がどうやって失ったものと折り合いをつけていくのか、いなくなったスーパーヒーロー達が何を残したのか、ファーフロムホームはそういったものを描いた映画です。

 

一方でエンドゲームでは、アベンジャーズとサノスの戦いだけでなく、これまでのアベンジャーズを支えたキャプテンアメリカとアイアンマンのフィナーレとして、それぞれの過去にも彼ら自身が決着をつけることとなります。

タイムスリップによって、キャプテンアメリカであるスティーブはかつて愛した女性と、アイアンマンとして戦うトニーはかつて分かり合えなかった父と、共に過ごす時間を手に入れます。

ですが作中で度々説明されるように、彼らが行うタイムスリップは決して歴史の修正ではありません。

そのためスティーブはどれだけ愛する女性と共に過ごしていたくとも、いずれは再びそれを、今度は自らの手で放棄しなければならず、スターク親子がいくら過去で理解しあえたとしても、それによってトニーの死んだ父との思い出が急に幸せなものに変わったりはしません。

それでも彼らは、自らの過去を、スーパーヒーローとなった現在の自分が引き受けることによって、最後に自分自身を救うことができたのでしょう。

 

上の場面だけでなく、『アベンジャーズ:エンドゲーム』はその集大成としての意味合いから、何度も過去との対比が行われます。

その中でもおそらく最も多くの人の印象に残ったであろうシーンは、サノスとの戦いでクライマックスにアイアンマンが言い放ったセリフ

「私がアイアンマンだ」

の場面なのではないでしょうか。

 

このアイアンマンのセリフこそが、僕にとってはMCUにおいてスパイダーマンの位置づけを考える重要なきっかけとなりました。

そこで次回のテーマは「MCU作品同士の関係性から見たスパイダーマン」です。

前置きだけで記事一つ消費する無能。

どうぞよろしくお願いいたします。