「モネの睡蓮」について

世間はゴールデンウィークですが皆さんいかがお過ごしでしょうか。

僕は友人に誘われているBBQの日以外は家に引きこもって一日中ゲームしていたい所存であります。

 

とはいえ世の中には、せっかく休みやしちょっと外出もしときたいな~でも特に行きたいところもないな~という暇人もいらっしゃることでしょう。

そんなあなたにおすすめの提案がコチラ!じゃじゃん!

名古屋市美術館開館30周年記念 モネ それからの100年:中日新聞(CHUNICHI Web)

 

 

というわけで今回の記事のテーマは「モネの睡蓮」についての小噺でござーい。

 

美術とかあんまりよくわからんし…っていう人でもこれを読めば女の子と美術館デートしてちょっと話題を提供できるくらいにはなれるよ!

 

美術にまったく興味のない人でもモネの睡蓮といえば名前くらいは聞き覚えがあるのではないでしょうか。

 

f:id:Ahaw:20180429032917j:plain睡蓮 1906

 

ところでモネの睡蓮ですが、関西だと京都のアサヒビール大山崎山荘美術館、関東だと国立西洋美術館なんかに常設展示されています。

僕的には現在人がいっぱいの名古屋よりもこちらを強くお勧めしたいです。

特に大山崎山荘美術館

レトロで素晴らしい洋館とそれにくっついた安藤忠雄の謎建築も楽しめます。

関西在住の方は是非一度足を運んでください。

 

 

さて話を戻してモネの睡蓮について。

 

モネは「印象派」と呼ばれるグループを代表する画家で、19世紀終わりから20世紀初頭にかけて活躍しました。

補足ですが印象派というのは、印象的な絵画を描く派閥、みたいな意味ではなく、印象派展と呼ばれる展覧会に参加していた画家たちを一括りにした呼び名です。

その展覧会は当時の美術界から批判的な評価を受け、特にモネの『印象・日の入り』という作品が注目され、そこから後になって印象派展と呼ばれるようになります。

 

f:id:Ahaw:20180427184040j:plain印象・日の入り 1872

 

では印象派とはいったいどのような集団であったのかという話ですが、詳しい話は長くなる&既に腐るほど世間にあるので割愛。

簡単にいうと、我々が見ている世界を、視覚的に再現するのはどうすればいいのかを追求していった集団と言えるでしょう。

 

 

それではそんな印象派であるモネの絵画『睡蓮』に話を移していきたいと思います。

 

f:id:Ahaw:20180427195146j:plain睡蓮と日本風の橋 1897

 

池に浮かぶ睡蓮という画題はモネにとって重要なテーマを持っていたようで、彼はそれを画家生活の中の様々な時期に何度も描いています。

 

睡蓮の絵が美術史的にどう素晴らしいのかについて解説するのがこの記事の目的ではあるのですが、それも印象派についての解説同様、世間にはたくさん溢れています。

ですので今回は、世間一般でよく目にするようなものとはほんのちょっとだけ違う角度から睡蓮の絵を見ていきたいと思います。

 

 

まず一般的になされている睡蓮の解説は、美術史における印象派の立ち位置とセットで語られることが多いです。

先に印象派は、現実世界を視覚的に再現することを目指したと述べましたが、例えばモネの場合、それはいかにして光を描くのか、という問題意識として表れています。

 

木々の木漏れ日や水面の反射など、我々に"見える"世界は光のきらめきに満ちています。

しかしこれを絵画、絵具でいかに再現するのか、ということが意外と難しい。

なぜなら油絵具は混ぜ合わせることによって欲しい色を作るのですが、色を混ぜるほどその絵具自体の色鮮やかさは落ちていくためです。

 

そこでモネ(というか印象派の画家達)が生み出したのが筆触分割とよばれる技法でした。

これは例えば葉っぱを描く際に、青と黄色の絵具を混ぜて緑色を作るのではなく、青と黄色を原色のまま細かく塗ることで、鑑賞者にはそれがまるで緑色に見えるというものです。

実際には色を混ぜ合わせないことによって絵具の鮮やかさを保ち、それによって光の鮮やかさを描写しようとしたのです。

 

もちろんこの筆触分割はモネの絵画のスペシャルのほんの一例です。

(むしろ筆触分割という技法自体は後の時代で行き詰まりを迎えたとされることも多いです。)

モネの絵画には他にもたくさんの重要で美しい特徴がありますが、書きだすとキリがないので興味を持たれた方は是非調べてみてください。そして教えてください。

 

 

さらにその他の特徴としては、風景画というジャンルはそれまではあまり描かれない、珍しい画題であったという点も重要です。

 

印象派が活躍した時代は絵具のチューブが発明された時期であり、これによって画家は外に出かけて絵を描くことが可能になります。

見ながら塗る、という行為がアトリエのモデルに対してのみに留まらなくなったわけですね。

 

もうひとつ、写真術が生まれたのもこの時期です。

写真を撮ること(覗き込み、フレーミングすること)、そして出来上がった写真が持つ、かつてのイメージにはない描写力は、世界の捉え方に変化をもたらしたであろうことは想像に難くありません。

 

つまり画家にとっては"見る"という行為への意識やそれが持つ意義に大きな変化が訪れていたタイミングであったと言えます。

 

 

モネの絵画はこういう時代に描かれていたってなわけですね。

 

 

ではここからやっと睡蓮についてのちょっと違う角度からの話。

にするつもりだったんですが、想定以上に前振りが長くなってしまったのでつづく。

書かなさそう