みじょれ先輩に学ぶ近代絵画
タイトルのみじょれ先輩とは、京都アニメーションによる2016年放映のアニメ「響け!ユーフォニアム2」における登場人物である。
たしかオーボエ奏者であったと思う。
このアニメは思春期にありがちなドロドロした友情関係にも光を当てており、その辺の心理描写はさすが小説原作といえる。
あと全編通して映像と音が抜群に素晴らしい。さすが京アニ。宇治が生み出した唯一の奇跡。
さあみんな円盤を買おう。
しかし今回のブログはいかにこのアニメの作画が美しいかとかを語るものではありません。
もっというとタイトルのみじょれ先輩もそこまで本旨と関係はないです。
ではなぜみじょれ先輩かというとまずこちらのgifを見ていただきたい。
みじょれ~
たしかこれは1話で、みじょれ先輩がバスに揺られながら窓を見ているシーンだったはず。
放送当時はなんとなく流していた場面なんですが、最近ふと見直したら、実はなかなか面白い構図になってるのではないかと思いすこし考えてみました。
まずこのカットには何が描かれているのでしょうか。
シーンの説明としては上に書いた通り、バスの中から女の子が窓を見ているっていう状況ですし、これはけっこう誰でも体験するようなことではないかとは思います。
ですが、このカットは彼女自身を描いてはいません。そこにあるのはガラスに映る彼女の像です。そしてその像はまっすぐにこちらを見ています。
つまりこの時、カメラは彼女の目に重なり、我々の目に映るのは彼女が見ている光景です。
このときの劇中人物の目と観客の目の関係みたいなのって、個人的にはかなり興味深いテーマなので、それはそれで後日に別のブログにまとめたいと思います。
でもとりあえずそれは置いといて、今回注目したいのは彼女のピントにあります。
画面を見る我々の目が彼女の目に重なるのならば、画面のピントは彼女が見ているものに合います。
そしてこのカットにおいてピントが合っているのが、窓に映る彼女自身の像です。
ということは彼女の視線(=観客である我々の視線)は、窓の外に伸びるのではなく、窓の表面に乗った光の像へと着地することとなります。
ではここでもう一度、このカットに何が描かれているのか、そして彼女が何を視ているのかを、次は物理的な意味で考えるとどうなるでしょうか。
実はそこにあるのは、窓ガラス、ただそれだけです。
窓の外の街並み、そこから滲む光、そして彼女が見ている彼女自身の像、これらは全て視線の先には存在しません。そこにはただ一枚の平面、ガラスがあるのみなのです。
にもかかわらず、その存在だけはこのカット内には描かれていません。
なぜならこの窓ガラスは、光を乗せるためのスクリーンであり、そのため我々の意識の外にあるからです。(映画館で上映中にスクリーンの存在を意識する人はいませんよね)
余談ですが、この、一枚の平面だけがあるっていう考え方は、両目ではなく片目だけのカットにしているあたり、おそらく制作された方もある程度は意識しているんじゃないかなとは思います。
今自分たちが見ているのは一枚の平面なのだ、そのことに気付いた時、我々の見ている画面は限りなく窓ガラスに重なった一枚のスクリーンへと転じます。
窓ガラスが認識外にあったように、それを劇として映していたディスプレイもまた認識の外にあるものです。
さてではこれがどのようにして近代絵画に繋がっていくのか。
疲れたので次号